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【Web連載】
あまり立派でなくても、過去を知る:『流儀』・01
連載:予告&補遺
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立岩 真也
(2014/01/20)
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第26回
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第27回
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第28回
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第30回
で有吉玲子
『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』
( 20131114,生活書院,336p. 3200+)を紹介してきた。続きがあるが、それはまたということで、今回(からからしばらく)は、2008年に出してもらった
『流儀――アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』
のこと。
この本の成り立ちについてはHP&またにするが、ごく簡単に説明すると
アフリカ日本協議会
で活動してきた
稲場雅紀
さんへのインタビューと小児科医の
山田真
へのインタビューを中心に、稲場さんが書いてきた文章を付し、山田さんのインタビューにはインタビュー本体より長い註を付した本。
今回は山田インタビューの冒頭を。ここ十数年、幾度も同じことを話したり書いたりしているのだが、歴史・現代史を、という話である(cf.当方のサイト内にある
「歴史」
)。そして紹介してきた有吉の本、そして生活書院刊で私の勤め先での仕事に関わるものとしては、吉村夕里
『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるミクロとマクロのツール』
(2009)、定藤邦子
『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』
(2011)、新山智基
『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動――生存の視座から』
(2011)、天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』
(2011)、利光惠子
『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』
(2012)、田島明子
『日本における作業療法の現代史――対象者の「存在を肯定する」作業療法学の構築に向けて』
(2013)、等幾つか成果が生まれてはきている、それなりにがんばっていると思いつつ、もっとなされてよいように思っていて、昨年末出してもらった
『造反有理――精神医療現代史へ』
も不細工ながらそういう仕事の一つでもある。そしてこの『流儀』にもそんな思いがある。調べればわかることは増えていくから、増補・改訂を考えていて、【 】内はそのための文章。山田インタビューの部分の目次は次のようなもの。
忘れずにとどめておくという仕事
「異議申し立て」と医学生運動
大学医学部のヒエラルキー
森永ミルク中毒被害者の告発
被害者-支援者、裁判-直接行動
医者はわかってくれない
「体制」を問題にするという構え
“治す”を疑う医療
オルタナティブの陥穽
「間違った科学」「正しい科学」
医療者の被害者意識
合理的なことをきちんとやる
この道も、この道も同様に間違っている
以下はその冒頭の冒頭。
■忘れずにとどめておくという仕事
立岩:〔二〇〇七年〕十月に、東京で、
尊厳死
や治療停止の問題について、山田さんと盟友の
本田勝紀
さん
★01
――
脳死・臓器移植
のことに関心がある人は名前を知っているはずですが――お二人の主催で、ちょっとした集会がありました
★02
。僕も呼ばれて少しだけお話をしたんですが、その時、
『現代思想』
が「医療崩壊」というテーマで特集をするという話【→
『現代思想』2008年2月号 特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー
】があって、集会に参加しながら考えていて、山田さんに話を聞いたらおもしろいのではないかと思いついた、今日はそういうことです。
その思いつきがなになのかということあたりからなのですが、山田さんは一九四一年生まれで、僕は一九六〇年生まれです。今どきの院生はというと、八〇年に生まれても二七歳、八〇年を越して生まれた人も実際にたくさんいます。そうすると、僕と山田さんが二〇ぐらい違って、院生たちとも二〇ぐらい違って、だいたい四〇年ぐらいになる。
僕はここ(立命館大学)の大学院で教えたりしていて、いま自己紹介してもらったように〔インタビューは公開で行われ、参加者の自己紹介があった〕、今日は山田さんだからそういった人の参加が多いというのもあるけれど、それだけではなくて、この【
先端総合学術研究科
という名称の】研究科には、病気や障害に関係する研究をしたいという人が割合にたくさん来ていて、それ自体は歓迎なのですが、話したり、書いたりしたものを見ていると、「ああ、そうかこんなことも伝わっていないんだな」とか「知られていないんだ」といったことにけっこう頻繁に出くわすわけです。
それが一〇〇年も二〇〇年も昔の遠いどこかのことであれば、それも当たり前かなとも思うわけですが、そうではなくて、この国に起こった、二〇年、三〇年、四〇年前の出来事であっても、やっぱり知らない。端的に知らない。知られていないことはいっぱいあるんだなということは、前からよく思うことなんですね。
それでいいのだろうかと。もちろん、人間の記憶容量には限界があるし、世の中にあることみんなを覚えてはいられない。忘れてしまっていいこともたくさんあるに決まっている。でも、そうとばかりも言えないことも、やっぱりこの領域に関しては、この領域に関しても、あるだろうと思うわけです。
そういったまずは非常にべたな意味で、「この間何があったのかしら」ということを記録にとどめておく仕事がやはり必要なのではないかということを痛感というか実感する部分があります。日本に限らず、この社会において何が起こって、それが今にどういう形で引き継がれたり、断絶したりしているのか、そういうことが気になる。それはそれとして押さえておきたい。ほうっておけばなくなってしまう、薄れてしまう。それでぼつぼつとそんな仕事を始めていて、ここの研究科が主体になって立ち上げたCOE【別途説明】でも、その仕事の一つとしてやっていこうとしている。
いろんな人に話を聞いたりしていて、昨日も、数年前にやった
横田弘
さんとの対談
★03
をひっぱりだしてきて少し直したりしまして、それもその一環なのですが、そうしたことがベースにあります。(続く)
★01
本田勝紀
(ほんだ・かつのり) 一九四一年生まれ、内科医。本田と山田の二人は、一九六七年、卒業式前日に無期停学処分を受けている(山田[2005:85-89])。
東大PRC(患者の権利検討会)
で活動。多くの文章を雑誌
『技術と人間』
【一九七二年創刊、当初はアグネ社から刊行、高橋昇が社長となって株式会社技術と人間を設立、二〇〇五年八・九月号をもって廃刊。当方のHPに創刊から一九九二年までの特集名を掲載。cf.
http://arita.com/ar3/?p=788
】に書いている。『技術と人間』の特集が単行書化されたものとして東大PRC企画委員会編[1986]
『脳死――脳死とは何か?何が問題か?』
、[1988]
『エイズと人権』
がある。他に本田の共著書として本田・弘中[1990]
『検証医療事故――医師と弁護士が追跡する』
がある。(こうして以下に出てくる一人ひとりの著作をあげていくとそれだけで本ができてしまう。山田には四〇冊を超える著作があるのだという。それらの紹介はまたの機会にしよう【→HP内の
「山田真」
】。)
★02
脳死=A安楽死、終末期医療を考える公開シンポジウム
、二〇〇七年十月七日 於:東京・南青山。【シンポジストは光石忠敬(弁護士)、林謙治(保健医療科学院・次長)、田中智彦(東京医科歯科大学教養部准教授・哲学、倫理、生命倫理学)、
立岩真也
、富家隆樹(富家病院院長・日本療養病床協会理事)、
山田真
、司会は
本田勝紀
・山田、主催:同シンポ実行委員会。】その記録が出ている。可能であればHPに掲載する。【立岩の報告(要旨)は
「同じ問題であることについて」
。】
【私はこの時初めて
岡田靖雄
氏にお会いしたのだと思う。シンポジウムが終わった後、後ろのほうからこちらに来られて挨拶してくださった。岡田氏は精神科医として長く働くとともに、精神医療史についてはおそらく他の誰よりも知識を有しており、そうした方面の著作もある。ただ、これまでの著作では一九六〇年代中盤以降について詳しく書くことがなかった。それには理由があると私は思っていて、そのことを
『造反有理――精神医療現代史へ』
一二四・三八九頁他に記している。ただその人も(二〇一三年十一月に
山本真理
氏からうかがったところでは)、今年(一〇一四年)、より現在に近い部分について書いた本を出すのだという。】
★03
横田弘
(よこた・ひろし) 一九三三年生まれ、詩人、脳性マヒ者。【二〇一三年六月三日逝去、享年八〇歳。】七〇年代から八〇年代にかけて五冊の本がある(HPで紹介)。今購入できる対談集に
『否定される命からの問い』
(横田[2004])があり、立岩との対談も収録されている。横田弘・立岩真也[2003]「二〇〇三年七月二八日の対談」は収録された対談の一つ前に行われたもの【なんらかのかたちで公表・公刊することを考えている。】。立岩が、横田さんの過去を聞き出すことだけに熱心だったので本には収録されず、もう一度対談が行なわれことになり、それが収録された。この書籍未収録の第一回の対談で、七〇年代について横田は次のように語っている。
「七〇年のあの当時で、あの時でなかったならば
『青い芝』
の運動は、こんなに社会の皆から受け入れられなかったと思います。七〇年の学生さんの社会を変えていこうよと、社会を変えなければ僕たちは生きていけないと考えた、あの大きな流れがあったから、僕たちの言うことも社会の人たちが、ある程度受け入れようという気持ちがあったわけですよ。」(横田・立岩[2003])
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■生活書院の本×3
◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 20081130
『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』
,生活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2310
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◆新山 智基 20111201
『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動――生存の視座から』
,生活書院,216p.
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※
◆定藤 邦子 20110331
『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』
,生活書院,344p. ISBN-10: 4903690741 ISBN-13: 9784903690742 \3000
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