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【Web連載】


立岩真也「概ね体系的学知の外にあった:『流儀』・03」 連載:予告&補遺・33

立岩 真也  (2014/02/10)
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  2008年に出してもらった『流儀――アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』のことを、その本を買ってもらうために書いている。書いているというより、その一部を引用し、【 】にいくらかを加えている。
  第31回第32回につづき、だからもう3回になるが、まだ山田インタビューの(私による)「まえせつ」が続いている。

  「山田さんは小児科医で、今年〔インタビューは2007年に行なわれた〕だと毛利さんとの共著で『育育児典』(毛利・山田[2007])が十月に出て、順調に売れていると思います。僕は、山田さん、毛利さん、それから後でも出てきますが石川憲彦さんといった人たちの本が一定の読者を獲得していることは、この医療という陰鬱な業界において数少ない喜ばしいことの一つであろうと思っています。そして山田さんや毛利さんの本は学者なんぞを相手にしてはいない。それは表紙を見ただけでわかります。とくに毛利さんの本なんかは、表紙はパステルカラーで、赤ん坊の絵が書いてあって、まずは育児本以外のなにものでもない。そのようにしてやってこられたことに大きな意味があると思います。全体として厳しい中で、山田さんや毛利さんたちの本が読まれているのは、「たまにはわかってくれる人もいるんだわ、安心させてくれる人がいるんだわ」、みたいなね、いっときの癒しを求めてといったことがあるかもしれない。時々、山田さんみたいな人がいて、それから精神疾患の方だったら中井久夫さん★07みたいな人がいて、認知症だったら小澤勲さん★08みたいな人がいて、それぞれいい人で素敵というふうに話が流れていきもする。それはそれでかまわないんだけども、そういうことだけではないだろうと。書かれていること、取り出してこれるものがあるだろうと。
  最首悟さん★09や、亡くなった宇井純さん★10のように、大学に籍を置いていた人たちもいます。たしかに大学にはいたけれども、疎まれつつ居座って辞めないぞという感じでいたわけで、東京大学のその学問の中でああいう仕事をしてきたというよりは、例えば自主講座★11といった別の形で活動を展開してきた。無職の人もいた。出版社に勤めていたり【(古川清治さん)】、小学校の先生であったりした人【(北村小夜さん)】もいた。むしろ、日本で今記録されておくべきことを担ってきた人たちは、学問の領域にビルトインされた活動ではなく、むしろ在野の活動としてやってきたわけです。
  とすると、医療倫理の歴史の中で、それらをあらためてどう扱うかということになるなら、お定まりのように教科書を読み、学術論文を読み、というのでは間に合わない、捉えられない部分が出てくる。僕は、バイオエシックスが学問化され、制度化されたことに関して、向こうは進んでいるけれども、こちらはそういう学問的な体系化が遅れているとは捉えてはいません。プラスマイナス両方があったと考えています。というか、そもそもある基準をもってきて単純に比較するということにはならない。
  どう知って、どう捉えるのか、これからどういうふうに活かすのかということは、またちょっと別途に考えなければいけない。これはけっこう難しいことで、工夫のしがいがあると思います。
  もっと言えば、「障害の位置――その歴史のために」の中に名前を出したような人たちは、僕ら――六〇年の前後に生まれてだいたい八〇年前後に大学生であったりした人たちのその一部――にとっては、先輩というか先生というか、障害の問題にしても医療の問題にしても、なにか気に入らないことが直感的にあり、どう言おうかと考えたり思ったりした時に、誰のものを読んだかというと、ここに僕が名前を列挙したような人たちということになるわけです。

★07 中井久夫(なかい・ひさお) 一九三四年生まれ、精神科医。[1982]『分裂病と人類』他、著書多数。最近の著作に[2007]『こんなとき私はどうしてきたか』。中井はなにか「政治的な活動」をした人ではない。ただ山田によれば、中井が書いたと思われる医療・教育体制についての文章を、山田は学生時代に読んだことがあるのだそうで、それは優れた文章であったという。詳しいことを聞ければまた別の機会に聞いてみたい。
 【一九六三年に書かれたその「幻」のパンフレット他を再録した本が二〇一〇年に刊行された(中井[2010]『日本の医者』)。その本のことについては 立岩[1013]『造反有理――精神医療現代史へ』の第1章「前史・既に言われたこと」第3節「中井久夫『日本の医者』」でとり上げている。また『現代思想』の一〇一四年五月号が「精神」の特集になり、そこに中井へのインコビューが掲載されるはずである。】
★08 小澤勲(おざわ・いさお) 一九三八年生まれ【、二〇〇八年逝去】、精神科医。「反精神医学」――と括られたりする――運動の時代の著書・編書として、[1974]『反精神医学への道標』、小澤編[1975]『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』。自閉症について――「幻の大著がその全貌を現す!本書の存在を抜きにして自閉症は語れない。」と、再刊された――[1984→2007]『自閉症とは何か』。さらにその後十数年が経って、[1998]『痴呆老人からみた世界――老年期痴呆の精神病理』、そして新書として[2003]『痴呆を生きるということ』が出され、広く読まれた。この本によって多くの人が小澤を知ることになった。その後、共著も含め何冊か。新書では[2005]『認知症とは何か』
  そして小澤編[2006]『ケアってなんだろう』。医学書院の編集者による宣伝の一部。「自閉症研究の先駆者、反精神医学の旗手、認知症を文学にした男……そんなさまざまな顔をもつ小澤氏に、”ケアの境界”にいる専門家、作家、若手研究者らが、「ケアってなんだ?」と迫り聴きます。/第T部は、田口ランディ(作家)、向谷地生良(べてるの家)、滝川一廣(精神科医)、瀬戸内寂聴(作家)という多様なバックグラウンドをもつ各氏との対談。第U部は、西川勝(看護/臨床哲学)、出口泰靖(社会学)、天田城介(社会学)という気鋭の学者三氏による踏み込んだインタビュー+熱烈な小澤論。さらに、小澤氏自身による講演録と、書き下ろしケア論も付いています。」
  【小澤の一九七〇年代の言論のいくらかについては拙著『造反有理――精神医療現代史へ』で紹介している。ただ、それらにおける自閉症論について、また「造反派」の雑誌『精神医療』に一九八〇年から連載された自閉症論が書籍化された『自閉症とは何か』についてはまったくふれることができていない。】
★09 最首悟(さいしゅ・さとる) 一九三六年福島県に生まれ、千葉県に育つ。東京大学理学部動物学科博士課程中退後、一九六七年同大学教養学部助手になる。一九九四年退職。恵泉女子大学を経て、二00三年より和光大学人間関係学部人間関係学科教授。現在、和光大学名誉教授、予備校講師。この間、一九六八年東京大学全学共闘会議助手共闘に参加。一九七七年第一次不知火海総合学術調査団に参加、一九八一年より第二次調査団団長。著書に[1984]『生あるものは皆この海に染まり』、[1988]『明日もまた今日のごとく』『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』(最首[1998])他。編書に最首・丹波編[2007]『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』。より詳しくは丹波[2008-]「最首悟」(【こちらのHP上の「人」頁。】以前からあった資料を丹波が増補している)。
  『情況』という回顧的な(だけではないが)雑誌の二〇〇八年八月号の特集が「人間的環境と環境的人間」で(もう一つの特集は「新左翼とは何だったのか」)で、最首の特集号のようになっている。(最首自身は、前者の特集で鼎談を一つ、後者の特集で――前の号から連続対談を始めたということでその第二回ということなのだが――対談を一つ。)この号に、以前書いた文章を集めただけの立岩[2008]「再掲・引用――最首悟とその時代から貰えるものを貰う」。【最首については他でも幾度か言及したことがあり、拙著『私的所有論』の第2版でもいくらか加えて書いた部分があることは、本連載の第24回第25回にも記した。】
★10 宇井純(うい・じゅん) 一九三二年〜二〇〇六年、東京大学助手。その後沖縄大学。著書多数。
  【拙著『良い死』(二〇〇八、筑摩書房)第2章・注21より。引用は『豊かさと棄民たち――水俣学事始め』から。】
  「[…]この国における「環境思想」をどのように捉えるのか[…]。宇井純にしても原田正純にしても、その人たちが言ったことを煎じ詰めると、極めて単純な筋の話になる。つまり、差別のあるところに公害がある、「社会的弱者」が被害者になる。それだけといえばそれだけの話だ。
  「最初、水俣病患者の家を訪ねた時、患者たちの病気のひどさもさることながら、その貧困と差別の苛烈にショックを受けた。そして、この貧困と差別は水俣病が起こったために生じたと考えた。しかしその後、いくつかの国内外の公害現場を訪ねた結果、私は差別のあるところに公害が起こることを確信するに至った。」(原田[2007a:123])
  むろんその様々な出現の形態は様々であり、それに対する対し方にしてもまた様々ではあって、そうした部分ではいくらでも調べたりすることがある。実際、その人たちは、長い間そうした仕事を行なってきた。ただ、その「思想」は、縮めればずいぶんと短くなってしまう。もちろんそれでいっこうにかまわないのではある。なにか長々と、いつまでも論じることがよいなどということはないのだ。ただそうではあっても、わかりやすく見える言葉の上を私たちが滑っていってしまうことがしばしばあるなら、そしてそこでなされたこと、言われたことが大切だと思うなら、言葉をどのように足していったらよいのか、これは考えどころなのかもしれない。」
  原田(一九三四〜二〇一二)は、今またその動きが報じられている尊厳死法案提出の動きに対して二〇〇五年六月に結成された「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の代表を務めてくれた人でもあった。今度の動きについてはまた記すことになりそうだが、有馬斉との共著書『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(二〇一二)にはその会の、原田が代表にさせられた発足集会で採択された声明も収録されている。】
★11 宇井編[1971]『公害原論』(全3巻)の合本版とその新装版が出ている(宇井[1988][2006])。また、宇井編[1991]『公害自主講座15年』が改題され『自主講座「公害原論」の15年』として再刊されている。以下「自主講座公害原論 開講のことば」の全文。
  「公害の被害者と語るときしばしば問われるものは、現在の科学技術に対する不信であり、憎悪である。衛生工学の研究者としてこの問いを受けるたびに、われわれが学んで来た科学技術が、企業の側からは生産と利潤のためのものであり、学生にとっては立身出世のためのものにすぎないことを痛感した。その結果として、自然を利益のために分断・利用する技術から必然的に公害が出て来た場合、われわれが用意できるものは同じように自然の分断・利用の一種でしかない対策技術しかなかった。しかもその適用は、公害という複雑な社会現象に対して、常に事後の対策としてしかなかった。それだけではない。個々の公害において、大学および大学卒業生はもとんど常に公害の激化を助ける側にまわった。その典型が東京大学である。かつて公害の原因と責任の究明に東京大学が何等かの寄与をなした例といえば足利鉱毒事件をのぞいて皆無であった。
  建物と費用を国家から与えられ、国家有用の人材を教育すべく設立された国立大学が、国家を支える民衆を抑圧・差別する道具となって来た典型が東京大学であるとすれば、その対極には、抵抗の拠点としてひそかにたえず建設されたワルシャワ大学がある。そこでは学ぶことは命がけの行為であり、何等特権をもたらすものではなかった。
  立身出世のためには役立たない学問、そして生きるために必要な学問の一つとして、公害原論が存在する。この学問を潜在的被害者であるわれわれが共有する一つの方法として、たまたま空いている教室を利用し、公開自主講座を開くこととした。この講座は、教師と学生の間に本質的な区別はない。修了による特権もない。あるものは、自由な相互批判と、学問の原型への模索のみである。この目標のもとに、多数の参加を呼びかける。」(週刊講義録『公害原論』創刊号(1970/10/12)→宇井編[1971→1998:2])」


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■生活書院の本×3

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 20081130 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2200+ [amazon][kinokuniya]
◆立命館大学生存学研究センター 編 20110325 『生存学』Vol.3,生活書院,272p. ISBN-10: 4903690725 ISBN-13: 9784903690728 2200+ [amazon][kinokuniya] ※
◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 2000+ [amazon][kinokuniya]

『流儀』表紙    『生存学』3    『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』表紙