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【Web連載】


「日本臨床心理学会」:堀智久新刊・2 連載:予告&補遺・39

立岩 真也  (2014/04/28)
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  堀智久の『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』がこの3月に刊行された。紹介や書評は誰かが書いてくれるだろうことにして、前回はその本が「先天性四肢障害児父母の会」のことを調べて書いてくれてうれしいということだけ書いた。今回は、「日本臨床心理学会」のことが、第4章日本臨床心理学会における反専門職主義(1)――専門職であることを超えて、第5章「日本臨床心理学会における反専門職主義(2)――専門性の限定的な肯定あるいは資格の重視へ」でとりあげられていて、それもまた大切なことだと、そのことだけを記す。
  以下本書に依拠して簡単に。この学会は1964年に設立される。大学関係者が中心の学会で、大学院修士課程を要件とする資格化を主張するが、1969年10月の名古屋大会で、批判がなされ、方針が大きく変わっていく。これもそう単純ではなく、一つには、大学院など出ず、現場で働く人にとって、大学院卒が要件とされること、格差をつけられることに対する不満もあった。たださらに一つ、この時期に始まった「反乱」から発した部分もあり、資格そのものに反対する流れも作られ、激しい議論がありながら、しばらく反資格・反心理テスト…派が主導権を有していた(その間、会員数は減り続ける→p.110)が、1991年、投票で国家資格化を容認する意見が反対意見をわずかに上回り、方向が大きく変わる。反対派は学会運営委員に立候補せず、その一部は、1993年に「日本社会臨床学会」を設立する(→p.141)。
  私はこの学会を直接に知ったり関係があったわけではない。(学生の時、誰かが企画した勉強会のようなものに篠原睦治さんにおいでいただいたことがあるようにも思うが、定かでない。)だいぶ後のことになるが、「自己批判」の時期の学会誌をまとめて購入したことはあって、それは誰かが調べるようなことがあったらと思ってのことだった。つまり私はできなかった。ただ、それはだいぶ前のことだが、その学会編といったかたちで出された本を読んだりすることはあって、私にその影響はある。それで調べておく必要もあると思ったのだ。
  『私的所有論』では第7章「代わりの道と行き止まり」の第4節「より「根底的」な批判」の[1]「能力主義者である私の否定」で、「一九六〇年代末以降、教育や医療に関わる場面で、また障害者の社会運動の中で、「能力主義」がそれ自体問題化される対象として現れる◇23」(p.489)と記したその註にいくつか文献をあげている。(と書いて第2版での増補分=【 】について間違いがあることに気づいた。「精神科ソーシャルワーカー(PSW)」ではなく「臨床心理士(CP)」である。)

  「◇23 教育、医療といった領域に限定し関連する単行書を発行年順に追うと以下のようである。『知能公害』(渡部淳編[1973])、『母よ! 殺すな』(横塚晃一[1975]、増補版[1981]【、新版[2007](そこに付した「解説」(立岩[2007c])の全文→hp)、cf.第9章注5・714頁)】)、『反発達論』(山下恒男[1977])、『障害者殺しの思想』(横田弘[1979])、『心理テスト――その虚構と現実』(日本臨床心理学会編[1979])、『戦後特殊教育・その構造と論理の批判――共生・共育の原理を求めて』(日本臨床心理学会編[1980])、『知能神話』(山下恒男編[1980])、『「早期発見・治療」はなぜ問題か』(日本臨床心理学会編[1987])。これらはごく一部にすぎない。主張されたことを検証する別の作業が必要になる。【日本臨床心理学会の「改革」の模索について堀[2011]。この学会は精神科ソーシャルワーカー(PSW)の資格化等を巡って分裂、反対した少数派が日本社会臨床学会を立ち上げた。『カウンセリング・幻想と現実 上・下』(日本社会臨床学会編[2000])、またシリーズ「社会臨床の視界」を刊行している。】」(『私的所有論 第3版』pp.534-535)

  もう一つは、第9章「正しい優生学とつきあう」の註16。

  「◇16 医療やリハビリテーションに関する論文のほとんどは構造的にこうした問いを受け付けないようになっている。直接な効果だけを調べ、代わりに失ったものを評価することがないからである。【関連した文章に「なおすことについて」(立岩[2001b])。吃音の矯正について渡辺克典[2004]他。】
  日本臨床心理学会編[1987]は「早期発見・治療」の問題性を指摘する、というよりかなり根底的な部分から批判している。ここで主張されていることがどのような根拠によりなされているか、子細に検討してみる必要がある。【この学会について第7章注23・534頁】」(『私的所有論 第3版』pp.720)

  この註は次の本文の註。

  「私達は、苦痛を取り除くために、また不都合を解消するためにそれを受け入れることがある。「ことがある」というのは、これを受け入れるにあたっての負担=マイナスが(必ず)あるからであり、それを加えて総合評価するなら受け入れない方がよいことがあるからである◇16。私達は、実際には治療や予防の効果がたいして期待できないことから、また、薬が苦いことや、副作用の心配や、入院しなければならないことや、検査が面倒なことや、その他様々な私達が実際に被る影響を勘案して、治療も予防も選択しないことがあるだろう。けれども、このことは治療や予防そのものを否定することではない。」(『私的所有論 第3版』pp.660-661)

  と拾ってきて、つまり私の場合は、「批判」「否定」の時代になされたことをまず受け止めた上で、さらにそれを「当たり前」に 「吟味」してみようというふうに仕事をしてきたのだと思う。ただそれは、「批判」「否定」があったことそのものも知らないと、なんでわざわざそんなことをしているのかわかってもらいにくいということでもある。私が『造反有理――精神医療現代史へ』(2013)を書いたのにもそんなところがあった。その業界では1969年の日本精神神経学会の「金沢大会」が一つの転換点とされるのだが、臨床心理の領域でも同じ年の大会が同様の位置を占める。
  もう発売が始まったはずの『現代思想』2014年5月号の特集が「精神医療のリアル DSM−5時代の精神の<病>」で、例えはそこで樋澤吉彦吉田おさみについて書いているのだが、その吉田は、その動乱の時代に日本臨床心理学会と日本精神神経学会の両方で発言している。今度の堀の本ではそういう登場人物他についての記述はそう詳しくはない。だがまず基本的に知ってもらわなければならないことごとがある。それが堀の本に書かれている。そして堀は、そういった仕事から「障害学」を定位させることができると考える。そうだろうと思う。このことについてはまた。その前に、この本にはまだ私たちの過去について知るべきことが書かれている。続く。

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■生活書院の本×3

◆堀 智久 20140320 『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』,生活書院,224p. ISBN-10:4865000208 ISBN-13:978-4865000207 3000+ [amazon][kinokuniya]
◆立命館大学生存学研究センター 編 20110325 『生存学』Vol.3,生活書院,272p. ISBN-10: 4903690725 ISBN-13: 9784903690728 2200+110 [amazon][kinokuniya]
◆立岩 真也 2013/05/20 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版,973p. ISBN-10: 4865000062 ISBN-13: 978-4865000061 [amazon][kinokuniya]

『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』表紙    『生存学』Vol.3表紙    『私的所有論  第2版』表紙